【歴史的経緯】1990年代から成果主義
三洋電機は、早くから給与面に成果主義を取り入れてきた。1990年代初めに深刻な経営不振に陥った。これを機に成果主義を積極的に取り入れた。1996年度に本給の20%程度を仕事の役割に応じて支給する「役割給」を導入した。
2000年度には課長職以上に年俸制を導入したのに続き、2001年度には一般社員も仕事の内容に応じた成果型賃金に移行した。一時金についても業績に連動させることにした。2005年春からは家族手当も廃止された。
ユニットの業績に応じ最大40%の範囲で年俸が増減
2003年4月には組織を細分化する「ビジネスユニット」を採用。450あるユニットのリーダーは執行役員候補で、年俸はユニットの業績に応じ最大40%の範囲で増減する。
さらに2004年4月には、4500人の課長以上を対象に、最大20%の範囲で増減する契約年俸制を導入した。従来の年俸制は年功部分が一部残っていたが、目標の達成度で報酬が決まり、年齢は無関係になった。三洋電機は、電機業界では最も成果主義が進んでいると言われた。
社風は家族的な雰囲気
三洋電機は、創業家の井植敏会長を中心に「社風は家族的な雰囲気」だった。パナソニック(松下電器産業)、シャープと並んで「関西家電御三家」の一角を担った。売上高は3位だった。
デジタルカメラや携帯電話などのデジタル家電の業績は好調だった。しかし、OEM(相手先ブランドによる生産)が中心で自社ブランド力は弱かった。
21世紀での勝ち残りは「製造業から“創造業”への転換が不可欠」(井植会長)と考えた。組織や処遇制度も「厳しさを具現化したものにする必要があった」という。
人事・採用も成果主義
成果主義は給与だけでなく、人事面でも徹底的に導入された。従来、大卒の場合、平均的に39歳で課長になっていた。しかし、21世紀初頭には28歳での昇格も可能になった。
採用面では、2000年度に1年契約の「オーナーマインド契約」制度を導入した。事業に結び付くすぐれたアイデアを出せば新入社員の約2倍の報酬が支払われた。
次世代経営職採用
また、2003年度に導入した「次世代経営職採用」では、2年間で75人が入社した。うちMBA(経営学修士)取得者が約半数。公認会計士や経営コンサルタントもいた。3分の1以上が管理職待遇だった。
成果主義を先進的に採り入れたのはよかったが、そこはやはり人間の社会。急激に進んだ分、社内でぎくしゃくしたムードも生まれたのも事実だ。長年、三洋電機に勤め業績に貢献してきたという年功部分にも報いることで、「新たなやる気を生み出す必要もある」(三洋電機労働組合)と言われた。
自社株運用の従業員持ち株制度
2005年4月から業界では初の試みとして現行の退職金に上乗せする形で、全社員に三洋電機株1050株を支給する退職時株式支給制度「ESOP」(イーソップ)をスタートさせた。
「ESOP」は、自社株運用の従業員持ち株制度の一種だ。勤続年数や勤務成績にかかわらず15年間、毎年70株分のポイントが加算され、退職時に一括して1050株を手にできた。
株価が上がれば成果配分が増えることから、経営への参画意識の向上も期待された。将来的には、個人の成果や会社業績による上乗せ部分を設け、一人当たり最大3000株を取得できるようにするという計画だった。
ESOP(Employee Stock Ownership Plan) とは
ESOP(Employee Stock Ownership Plan) とは、会社が拠出した基金をもとに、従業員が株式を保有し退職時に受け取る制度。読み方は「イソップ」または「イーソップ」。従業員が自己資金で購入する従業員持ち株制度と異なり、もともとは会社に対する従業員の忠誠心を高め、生産性を向上させる目的で導入された。
最近、米国では株式公開買い付け(TOB)に対抗するための安定株主確保や、企業買収資金の調達源として利用するケースが増えている。